次に紹介したのが「フクシマ・レジェンド」だ。
この作品、福島の郡山にすむ方の一片の詩に絵をつけるという形で作ったものだ。
日本中の多くの人が東北の人々の節操ある立ち振る舞いに日本人としての誇りを感じた。
日本から謙遜や謙虚さは消えたと思っていた私は賞賛の涙を流したことを思いだす。
じゃがしかし、その一方で、そこに押しこめられた”怒り”の行く先が気になった。
今、広島で大注目の中沢啓一だが、その人に「はだしのゲン」を作らせたのは”怒り”だ。
アメリカに対する怒り、日本に対する怒りがあれだけの作品を世に残した。
(このことは本人から直接、話を聞いたので間違いありません)
しかし怒りは扱いにくい、生前、中沢啓一という人物に今ほどの注目が集まらなかったのも、
そのせいだと思っている。
怒りを表に出さないのが現代人の術でもある。
一般社会をみればわかるが、とにかくリアルな怒りは敬遠される。
ただ絵を描く人間の端くれとして、
多少、偉そうにいわせていただくと、平和を想う気持ちだけでは
はだしのゲンの力強い線は描けない。
あの毒々しい現実に何年も何年も向かい合い、
創作活動を続けることは不可能だ。
怒りは想いを伝えるための力となるのだ。
東北の人々が受けた様々な怒り、
とりわけ原発事故という何時まで続くか分からぬ
不安に突き落とされた福島の人々の怒りは尋常ではない。
その怒りを福島に伝わる「鬼婆伝説」にのせて作ったのが「フクシマレジェンド」だ。
福島の怒りが、この物語からにじみ出て、怒りから目をそむけ、
なかったことのように扱う今の風潮に少しでも歯止めをかけれればと思う。