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まち物語制作委員会

東北まち物語100本プロジェクトから始まった紙芝居活動をとおした福島とのつながりや、広島における紙芝居つくりを紹介します。

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D.Cふくしまデモツアー2日目 1月19日(日)午後3時⑧ みんぷく 「ぽかり松太郎 道山林物語」

みんぷく事務所での上演紙芝居3本目が道山林(どうざんりん)物語だ。
この物語の舞台である道山林とよばれる松林は塩屋崎灯台を訪れる際、通り過ぎた場所だ。
そこがどうして作られたのか、
どのように津波被害から人々をまもったのかを伝えるべく
東日本大震災の復旧作業に向かう消防団員による会話形式で物語は進む。
この紙芝居の読みはみんぷくの赤池さんだ。
シナリオも書かれただけあって、読みも堂々とされていた。

そして上演後は防災教室だ。
この震災ツアーを考えるにあたって、広島は単なる物見遊山、
被災者ってかわいそうだねで終わってはいけない、
訪れる人に“学び”がなくては意味がないと考え、
第1回のワークショップにおいて学びの場を求めた。
それに対しみんぷくの赤池さんが用意したのが、この防災教室というわけだ。
通常は3時間の講座らしく、ぶっ飛ばしての話となったが、
それでも地獄を見た人々の防災講座は全然、迫力が違う。
一言一言がずしんずしんと落ちてくる。
講座を受けながら我が家も近々
、防災グッズの備えについて見直しをしようと心に決めた。

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D.Cふくしまデモツアー2日目 1月19日(日)⑦ みんぷく「大熊町避難民物語 悠稀くんの手紙」

この上演予定は当初なかった。
それは実際にお会いし翔太君が演じる気分にあるかを確認した上でお願いすべきと思ったからだ。
そこで前日、みろく沢炭鉱博物館での上演後、
まち物語一行で栃本さんのところを訪れ、紙芝居上演をお願いした。
お願いしたのは“何か”で「悠稀くんの手紙」ではない。
それを選んだのは翔太君自信だった。

この物語を作ったと時、これは福島で当分、読まれることはないだろうと思っていた。
避難者の過酷な体験だからだけではない。
障害者が避難所でいじめに会うという辛辣なものだからだ。
そして、それが自分の息子の話だからだ。
それでも私が作ろうと思ったのは、それも一つの現実、
記憶が薄れぬうちに記録しておかねばと思ったからだ。
しかし、その作品が読まれる日は意外にもすぐにやってきた。
それも栃本さん自身がよむという。思いなのか覚悟なのか怒りなのか・・・
今となっては確かめることはできない。
そうこうしていると大熊紙芝居まつりで息子 翔太君と共演するのだと聞いた。
ほんとですかと絶句するしかなかった。

人は酷い体験をしたとき、心を守る為、ブレーカーが落ちるように記憶をなくすと言う。
まち物語の新多さんが被爆直後の思い出がないのも、その一例だ。
浪江の人々が「見えない雲の下で」を拒絶するのもそうだからだろう。

広島で被爆直後から被爆体験を声高らかに叫んだのは「はだしのゲン」の故中沢啓一だ。
震災後、2年もたたぬうちに自身のつらい被災体験に向き合い語る栃本さんは
中沢さんに匹敵する強さをもった人だったのだろう。
その意を受けるようにして語る翔太君。館内は涙で包まれた。
かくいう私も人前もはばからず号泣してしまった。

D.Cふくしまデモツアー2日目 1月19日(日)⑥ みんぷく 「眠り猫の独り言」

食事を済ませた後、向かったのが、
いわき市最大規模の仮設住宅がある中央台という新興団地だった。
立派な家々が立ち並ぶ中に長屋のようなプレハブ造りの仮設群、
それぞれの故郷に帰れば立派な家々があるだろう人々、
心中慮ったとき、いつもせつなくなる。
そんな団地の一角に事務所を構えるNPO法人のみんぷくの、
事務所をお借りして紙芝居上演を行った。
最初は浪江町の若き語り部 八島さん自身の体験をもとに作成した「眠り猫の独り言」だ。
浪江の人々が聞くのがつらいと長らく封印されていた
「見えない雲の下で」も淡々と語る八島さんだが、
自身の体験となるとそうもいかない。
そのことを前日の宴席で聞いたばかりだけに注目していたのだが、
そこは浪江の語り部、涙をこらえ、どうどうと演じられた。
日本中のペット好は震災時、ペットと生き別れになることを恐れている。
震災時におけるペットと人間との関係をより良くするためにも語り続けていただきたい。

D.Cふくしまデモツアー2日目⑤12時 塩屋崎灯台 美空ひばりの碑物語

最初に美空ひばりの碑を訪れた時、
美空ひばりは塩谷崎灯台を訪れたことはないとの説明に
「なんじゃそりゃ」と思ったことを覚えている。
なにゆえ立派な碑があるのか不思議でならなかったが、
紙芝居制作を通して、その疑問が解けた。

美空ひばりが病に倒れ、復活の狼煙として作ったのが
塩屋崎灯台を舞台にした「みだれ髪」だった。
その作品の持つ力が人を動かし街をうごかしたのだ。
国民的スターとはすごいものだと改めて思う。

この日、紙芝居を演じたのが、湯本温泉前の居酒屋「おかめ」の女将だ。
この人の美空ひばり好きはいわきでも有名らしく、
先だって“ひばり”という名のスナックをオープンさせたばかりだ。
そんな女将が碑の前で歌や踊りを交えた紙芝居上演は圧巻、
皆さん寒さを忘れ見入っていた。
しかし、私はこの作品をデモツアーに間に合わせようと超突貫工事で作ったため、
色々とシナリオ上のあらが目立った。
手直しをしなくては・・・

D.Cふくしまデモツアー2日目④ 午前11時半 豊間中学 ピアノ物語上演

二日目、最初の紙芝居上演が「豊間中学ピアノ物語」だ。
この豊間中学の物語は二作あり、一作はピアノ目線、
そしてもう一作は現実に基づき人間目線となっている。
私としてはピアノ目線の紙芝居の方が好みなのだが、地元の人にしてみれば、
やはり生徒や先生が主役の人間目線のものがよいようだ。
この日上演されたのも人間目線の「豊間中学ピアノ物語」だった。

津波の傷跡が生々しく残る豊間地区、中学校の校舎も破壊されたままだ。
その前で読む紙芝居は大迫力、
現実の壊れた建物と紙芝居の絵が相まって観客をぐいぐいと物語の中に引き込む。
これはすごい、人気ポイントになるぞと思ったのもつかの間、
そこは今年中には取り壊されるらしい。
震災観光という視点からすれば、
震災の生き証人の建物がなくなるのはなんとも残念だが、
復興のためには仕方のないことなのだろう。

プロフィール

HN:
いくまさ鉄平
性別:
非公開

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